行事_お別れ会と6年間のまごめの思いで(2021年えっちらおっちらより)
いよいよまごめの行事もラストの「お別れ会」。お別れ会で送る側、お別れ会委員として、送られる側の3つの視点で書かれたある家族の物語をお届けします。

まごめとのお別れ?
忘れもしない、息子がもも組に入った時の初めてのお別れ会。腕の中では1歳になった息子がぐっすり昼寝中。抱っこして背中をトントンしながら、涙を流しながらも当時のおおぐりさんを見送った。そして同時に“なんて泣かせる卒園式なんだ”と衝撃を受けた。劇団四季のSS席にも劣らないその感情の昂ぶりと言ったらない。それ以来、卒園式は毎年子どもと父は先に帰ってもらい、こっそり離れた席で思う存分涙を流して卒園生の6年間を顧みるというのが私の年度末の締めくくりとなった。
「お別れ会」との関わりで言えば、わが家はかき組の時に「お別れ会委員」をやらせてもらった。1つ先輩のくり組ファミリーとともに3家族で務めるのだが、とても色濃い内容であり子ども達の新しい門出を華やかに祝おうという目的の元、とても楽しい勤めだった。そして何より、色んな話し合いの機会を経て取れるコミュニケーションこそがこの担当を務める醍醐味であり、それそのものが良い思い出となった。
そんなお別れ会も今年で6回目。そして当事者になろうとしている。歴代の先輩たちからは「1階に降りてからの4年は短いよ」と言われてきたが、確かに。弾けんばかりの赤ちゃんだった息子が「オらがオラが」と主張するお兄ちゃんに育った日々が走馬灯のように思い出され、懐かしくも愛おしい。
もちろん卒園してからもOBという違った形で引き続きまごめと関わることができるが、、現役という一区切りの6年間が終わる。
ここでは私が親として感じた時間の振り返りをしたいと思う。
正直、生まれてから小学生になるまでの時間というのが、こんなにも大切で感動的な時間だとは思いもしなかった。実際に自分の幼少期について写真でしか思い出すことができない。
親になって初めて、知ったことが多くある。赤ちゃんって人のことを噛むんだ、髪の毛を引っ張るんだ、ありがとうは?ごめんねは?をしつこくせがむんだ等、まったく知らなかった。
それらを全部まとめで教えてもらった。成長という面では、お座りができて、つかまり立ちができて、言葉をしゃべって、お箸を持つ、トイレする・・・生きていくためのすべてを6年間で習得してきた。これらはできて当たり前に思えるが、人間としての根本となる部分でもあるから、最初の学びというのはおそらくその子の人生でずっと続くものになるだろう。
「人として」必要なことをここで経験豊かな大人たちや個性豊かな仲間に囲まれて学んでこれた息子をうらやましいと思う。
そして、私たち父母だけでは決してこんなに豊かな経験をさせてあげられなかっただろうと思うと、本当に保育園との出会いがいかに大切だったかを思い知る。
そして、思うのが親としての学びの6年間。そもそも息子が生まれたからこそ私は親になれ、親だからこそ知る様々なことを経験できた。それは幸せなこともたくさんあるが、時にはつらいと感じることもあった。
息子の場合、体の成長では何一つ苦労しなかったが、どちらかというと正義感が強く理屈くさい息子の性格には悩まされた。
そんな時のまごめの大人からのアドバイスや「大丈夫よ」は、親の私を何度救ってくれただろうかと思う。
自分だけではない、他の子もそんなもんなんだ、もっと大変なケースもあるんだと知ることはどんな慰めの言葉よりも自分に染みた。
(そもそも離脱はできないのだが)これまで何とか仕事をしながら母親を続けられたのには、そういう心のサポートがあったからだと間違いなく思っている。
アルバムをめくると涙が出てきそうなシーンがたくさんあり、その1つ1つに「ありがとう」、そして思い出がほろほろと浮かんでくる。
家族誰にとっても、まごめとの出会いはこれまでに経験したことのない一期一会であったと思う。
最後に、お別れ会ではうまく伝えられそうにないことを綴る機会をここで頂けたことに感謝しています。「私たち家族を育ててくれて、ありがとうございました。」
